第2回〜業界の発展経緯2
古代から衣類を洗うという行為は続けられてきましたが、ドライクリーニングは生活向上にともない発展し、各種溶剤の開発、機械的な要求への対応などで戦後、大きく飛躍しました。
国民生活が終戦後の混乱期を脱した頃より、その需要は様変わりして、環境衛生法の実現をみたのです。
昭和34年の環境衛生法が施行される前は、ランドリーにおいても、ドライクリーニングにおいても、最もつらい労働であった「絞り」を解決するために、手回し脱水機がまず工場に備えつけられました。
これはやがて直結電動型となっていきました。
環境衛生法施行とともに洗濯する機械、乾燥する機械を含め、仕上げる機械を「業務型洗濯機」という名称で機械メーカーが生産。多忙を極めました。
米軍の設備が手本となったため、業者は米国のクリーニング工場を参考とし、需要を満たすため、進んで米国業界を手本とし、発達する道のりを歩んでいきました。
自動車産業が歩んだ道程とクリーニング業界が歩んだ道程とは、不思議なことに同じ方向だったわけです。
そして、業界の二世は米国に飽き足らず、欧州の各国の業者も見学し、機械メーカーも同様の動きをしました。
欧州業界が狭い国土を有効に使って作業している状況をみて、日本の狭い作業場に設備するには、米国型よりも欧州型が適していることを学んだのです。
機械メーカーは欧州の機械メーカーと技術提携をしたり、ノックダウン方式を採用したりし、業界の夢を満たしていきました。
あまりの急速な発達は、商社を刺激し、一流商社が競ってこの業界に参入してきた様子が古い日誌から読み取られます。
三井物産、丸紅、三菱商事、大倉商事などの名前がその頃の日誌の頁を賑わしていました。
大手商社が取り扱いをしたり、提携をしたりして、加速度的発達をみるにいたり、現在でもその面影を留めています。
