第12回〜ドライクリーニングの歴史3
ドライクリーニングでは、どのような工程で処理されてきたか、歴史を追って見ていきたいと思います。
明治、大正の頃より、ドライクリーニング(乾式洗濯)は揮発油、ベンジン、ミネラルターペン等いわゆる石油系溶剤が主流でした。
これらの溶剤は揮発性が高く、引火性もあるため、コンパクトな機械でも、できうる限り密閉式につくられていました。
一般に町の洗濯屋さんでは、地下槽を設備したり、防爆式にしたりする関係上、機械を設置するには、それなりのスペースと防火設備が必要であることから、ワイシャツ等の水洗物とは違い、ドライは外注に頼っていました。
数カ所、あるいは数十カ所の洗濯屋さんから集められたドライ物は、ホールセールで素洗い、乾燥処理されてから、それぞれの洗濯屋さんに返却され手アイロン等で仕上げられていました。
この工程を踏んだものは当時「純ドライ」「洋式洗濯」「乾式洗濯」等などの名称で看板を出していました。
中には化学ドライという名称を用いて宣伝していたところもありました。
現在でもその名前が残っているわけです。
当時のドライクリーニング処理の流れをまとめてみると、お客さんから洗濯屋さんが受け取り、ホールセール(処理工場)で洗浄、乾燥処理されて、洗濯屋さんに返ってきて、仕上げを行ってからお客さんにお渡しする、というふうになります。
石油系溶剤は、現在あるような、臭わないものではなく、独特の臭いを強くもっていました。
素洗いをした被洗物を手アイロン等で仕上げ成型しても、揮発性の高い臭いが残り、その臭いで本式だという認め方もあったくらいです。
