[業界今昔物語]

第1回〜業界の発展経緯1

日本のクリーニング業界は比較的歴史は若く、急速に加速したのは、昭和34年の環境衛生法の施行により大きな転換を迫られた頃からです。
さらに業界の経営者の意欲と努力が、今日の発展にむすびついたと極言しても間違いではないでしょう。

機械洗濯の歴史は、先輩諸氏のお話や文献などでは、明治、大正時代から「湿式洗濯」と「乾式洗濯」の名称のもとに、繊維の発達と洗剤・助剤の発達とともに時々刻々緩やかな道のりを辿りながら、需要を満たしてきました。

一方、家電メーカーが「家庭用洗濯機」を発売して、一層の拍車がかけられたのも事実。
生活の向上とともに、洗濯に対する必要性がますます認識され、便利さと快適さを求められて今に及んでいます。

昔は旅館に泊まってもゴワゴワの敷布、糊のきき過ぎた浴衣で我慢していた時代もありました。
あるいは、入院するときは寝具を担いで病院に行った時代、その寝具が用意できないため入院を控えた時代も今は遠い昔となりました。

昭和の初期には、タライや洗濯板を使って手で洗濯し、天日で乾かしたものでした。赤ちゃんのおしめは雨が続くときには乾きづらく、数多くのおしめを用意して苦労した母親の嘆きも小さくありませんでした。

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一部では洗濯機械もありましたが、ごく限られたところでしか使われていませんでした。
例えば帝国ホテル、京都ホテル、富士屋ホテルなどには輸入機械などが設置されていました。
また陸軍の幹部養成学校や国立病院、大学病院などでも使われていましたし、海軍の艦艇などにも搭載されていました。 もちろん老舗のクリーニング店でも同様に設備されていました。

終戦後、米軍の進駐にともない、その後方機関としてQMランドリーがありました。
米軍の部隊、病院などからでる洗濯ものを処理する工場で、当時としては目を見張る設備を備えたクリーニング工場でした。
業者はもちろん、機械メーカーにも大きな参考になりました。
米国払い下げの中古機械を買い漁った時代もありました。

古代から衣類を洗うという行為は続けられてきましたが、ドライクリーニングは生活向上にともない発展し、各種溶剤の開発、機械的な要求への対応などで戦後、大きく飛躍しました。

国民生活が終戦後の混乱期を脱した頃より、その需要は様変わりして、環境衛生法の実現をみたのです。(B・K)