[業界今昔物語]

第9回〜病院基準寝具の進展

一方、病院、療養所でも一部では工場を有していました。
基準寝具が法律化されると同時に全国厚生年金病院、労災病院、逓信病院、国家公務員共済病院、大学病院、国立病院などにも、各省庁が病院内に洗濯設備を設けました。
病院、療養所も合理的機械を有し、自家処理に移行しつつあった時代に、基準寝具は、基準看護、基準給食とともに確立し、それぞれが点数制によって、料金が定められる時代になりました。
これにより支払が確実な需要分野となり、自家処理に限界が見えはじめると、外注の基準寝具工場が続々とできはじめました。

続々とできはじめた基準寝具工場では、シーツ、包布、枕カバーなどの洗濯だけでなく、毛布、布団などを含めてリースすることが、基準寝具法の定めにより要求されるようになりました。
そのため貸布団業者が、この分野に急速に参加して、綿久、小山などが台頭してきました。
綿久寝具前社長の故・村田清次氏は、全国的に派生した基準寝具会社の統一のため大いに活躍され、実績を残されました。
業界の方針をお引き立て預かり、実に先を読んだ、遠大なる考え方に敬意を表したいと思います。

基準寝具が普通のホテルリネンと相違している点は、厚生省の指導で被洗物を消毒する必要性があること。
病院の病床まで展開するに至っては、ベッドメイクの際に、看護婦さんなど医療に携わる人の手を煩わせることから、それらの費用を別に捻出する方策が必要なこともあり、厚生省の指示を履行するまでに、他のリース業以外の神経の使い方もあったようです。
ただ、料金は健康保険から支払われるため、財源的には極めて安定した事業でありました。