[業界今昔物語]

第8回〜リネンサプライの進展

環境衛生法施行の昭和34年頃になると、戦後の混乱から立ち直りつつあり、国民生活も逐一向上し、ビジネスでも会社員の出張が多くなりはじめました。
海外からも、仕事や観光などのために日本を訪れる人が増加し、ホテルは活況を呈しだしました。
外国のホテル並みに寝具も備え、その処理のためにホテルでは地下に洗濯設備を設置することがブームとなりました。
日本三大ホテルならびにその傘下のホテルから、地方の観光ホテルまで洗濯工場を保有するようになり、熱海、湯河原、箱根、白浜などでも、競って洗濯工場をつくったものです。

また、国鉄も寝台車をはじめとした列車内の被洗物を処理するため、日本を四分割してそれぞれに鉄道リネンを設け、それが活況を呈しました。
やがて空の時代がくると航空機内の被洗物を処理する航空リネンが登場してきました。

当時、各省庁の施設課では、洗濯設備の基準の作成に取り組んでいましたが、データや資料があまりなく、頭を悩ませていました。
私は各機関に対し、集めていたあらゆる資料の提供に努めたことがありました。
いろいろな方から教育を受けたり、教示を賜わったことから、数的データの重要性を認識させられ、私は早くから被洗物の種類、処理量などについて、あらゆる施設からデータを集め、外国の文献も参考にし、各データベースを作成していたのです。

このようにして、ホテル、宿泊施設などは館内や付属施設で独自の設備を行ってきたのですが、労働力不足の時代が到来すると、逐一リネンサプライに処理は移行していきました。
数量の確保時代、料金格安時代、さらに繊維メーカーをはじめ他業からの参入もあり、リネンサプライの競争は激化しましたが、それとともに発展していったのです。